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星野仙一さんの訃報 [訃報]

新年明けましておめでとうございます。


年末から、娘の結婚、引越しなど大きなイベントが重なりブログも更新できないまま年末年始を慌ただしく過ごしてしまいました。


本年もよろしくお願い申しあげます。


今年は新年早々、飛び込んできたのが、星野仙一さんの訃報。始めネットで見かけた時、「えっ?、随分悪質な事をするな。」と真面目に思ってしまったほどにわかに信じがたい内容でした。


多くの人も同じように感じたのではないでしょうか?それが事実だとわかった時、唖然としました。


監督時代にも何度か腰痛で一旦お休みとかありましたから、色々抱えているのだろうなとは思っていましたが、それよりも「闘将」のイメージが勝っていましたし、年末には殿堂入りのイベントで挨拶もされていましたからね。


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まさか膵臓癌を患っていたとは知りませんでした。


他にも年末には真屋順子さん、欽どこファミリー、よく昔見ていました。自分の青春時代に活躍していた方の訃報を耳にすると嫌でも時代の流れを感じずにはいられません。


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今年も新たな命が誕生する一方で、人生の幕を閉じる人も数多くいるのでしょうね。


でも事件や事故で思いがけずに悲しい幕を閉じるのだけはやりきれないです。世界的にはテロ、北朝鮮のミサイルや核開発、日本でも大地震や異常気象などによる自然災害がますます心配です。


なんてまずは身近な自分の健康を維持しなくてはなりませんね。今年こそはこの1年治らずじまいだった腰痛と股関節痛を何とかしたいです。


皆さんのご多幸をお祈り申しあげます。
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松方弘樹さんの訃報 [訃報]

数日前の松方弘樹さんの訃報、本当に驚きました。好きでよく映画も見ていただけにショックが大きかったですね。


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松方さんは2016年の3月でしたか。悪性の脳リンパ腫であることを公表し、長期療養に入っていました。


あまり耳にしたことのない、しかし脳と言う言葉のつく病名だっただけに不安は感じていましたが、ここしばらくニュースにも出ていなかったので開放に向かっているのかなと思いながらも頭から抜けていました。


脳リンパ腫と言う病気は、10万人に1人という病気だそうですね。


なんでも中枢神経系にできる悪性のリンパ腫で、血液細胞の1つのリンパ球が腫瘍化したもので、悪性リンパ腫の中でも発症率が低いというのですから、なぜそれが国民的人気の映画スターの身に降りかかったのか、あの豪快なマグロの一本釣りをする、正に元気な塊のような松方さん降りかかったのか、本当に皮肉と言うか残念でなりません。


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以前にもブログで触れましたが、松方さんと言えば、僕の中では任侠映画。


あの物静かでも迫力のある表情、一方で狂気に満ちた表情を出せる俳優さんとして別格な存在であったように思います。


「仁義なき戦い」、「修羅の群れ」、「修羅のみち」、「首領になった男」などなど。

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そしてテレビで好きだったがホテルでした。


ホテルの東堂支配人の重厚で、かつおちゃめな役柄にも本当に惹きこまれました。


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本当に寂しいですね。


私生活ではお金の使い方など本当に豪快な方だったようですね。勝新太郎さんと似たような感じだったようです。まさに昭和の匂いがぷんぷんする役者さんだったようです。


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公私ともに親友で釣り仲間でもあった梅宮さんのコメントを聞くと本当にやりきれませんね。


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「あいつまでいなくなっちゃった。寂しい」

「骨だけがバラバラになって出てきてね。悲しかったですね。人間ってこんなに簡単なものなのかと…」

「(松方から)天国にも海があって、カジキマグロがいるから、釣りに来いと言われた気がしたので、俺もすぐに行くから待ってろ」


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でも一般の人とは違い、松方さんの作品は見ることができますから、これからまだ見ていない作品を少しずつ見ていきたいと思います。


ご冥福をお祈りいたします。

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元横綱千代の富士、九重親方死去 [訃報]

大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢さん)が7月31日、東京都内の病院で死去したました。


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還暦を過ぎたばかりの61歳と言う若さでした。


2015年にすい臓ガンを患い、名古屋場所を全休して手術をするなどの闘病生活を送っていたことは耳にしていました。


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すい臓ガンは死亡率が非常に高いガンで、早期の発見が難しい上に、治療も難しい為に「ガンの王様」と呼ばれているガンだそうです。約90%の患者が再発し、すい臓がん患者全体でみると、5年生存率は5~10%と極めて低いらしいのです。


でもそれが現実のものとなっていたとは知りませんでしたから本当に驚きました。ショックでした。


近年、あれだけ筋肉隆々で、キリッとした凛々しい相撲取りはいなかったのではないでしょうか?正に「カッコいい力士」でした。誰もがそう思っていたのではないでしょうか?


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現役時代の身長は183cmで、体重も127kgでしたから、相撲取りとしては決して恵まれた体格とは言えませんでした。


そんな小さな身体で作り上げた通算1045勝、優勝31回、三賞7度、金星3個、そして角界初の国民栄誉賞ですから本当に凄いとしか言いようがありません。


土俵で見せるあの鋭い眼光は正に愛称ピッタリの「ウルフ」そのものでした。


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九重親方は1973年の春場所以来、何と10回以上も肩の脱臼を繰り返していました。脱臼癖がついていたのですね。


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しかし1979年の春場所に逆の肩を脱臼したのです。。手術をすれば3週間はギプスが取れません。その事が転機となったようです。


それだけ脱臼を繰り返していれば、引退の文字が頭をよぎってもおかしくないと思うのですが、何と
関節周囲の筋肉で、「脱臼しない肉体」に改造すると決め、病院でリハビリを続け、腕立て伏せ一日500回をノルマにしたと言うのです。


その当時の千代の富士関の部屋の畳は3週間に1回取り替えていたそうですが、すり切れた畳には手の跡がくっきり付いていたと言うのです。尋常な努力ではありませんね(笑)。


そうしてあの鎧のような、筋肉隆々の身体が出来上がったのですね。本当に凄いとしか言えません。


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もうひとつ印象に残っているのは、乳幼児突然死症候群でお亡くなりになった三女、愛ちゃんのことです。あの時は本当に辛そうでした。


千代の富士関は優勝したときにはお子さんと賜杯と一緒に写真を撮っていました。


しかし1989年、三女愛ちゃんが生まれた年の春場所は、14日目に大乃国戦で肩を11回目の脱臼。14勝1敗で優勝しましたが、表彰式に出るのもやっとだったようです。


それはそうです。普通なら痛くて立ってもいられないでしょう。


その時の千代の富士関のコメントです。


 「あの時はなぜか無性に愛と一緒に写真を撮りたくなった。東京の女房に電話したら、まだ1カ月と1週間、首も据わってないから無理と言われた。それでも来いと呼んだんだ。愛を抱き、賜杯を左に置いて、写真を撮った。長女の優が“今度優勝したら家族全員で撮ろうね”と言ったのが、今も耳に残る」。


結局、家族全員で賜杯を囲んでの写真撮影は夢で終わってしまいました。


家族思いで、小さな、そして脱臼癖のある身体を一日500回の腕立て伏せで鎧のような身体に変え、大横綱になったのですから、子供たちには本当に自慢の父親であったことでしょう。


本当に強くて、カッコいい横綱でした。ですから千代の富士関が引退を決めたと言われる貴花田(後の横綱貴乃花)との相撲もとても印象に残っています。





あの時は本当にショックでした。でも立派な引き際でした。


そして還暦の土俵入り、還暦であの肉体美、まだまだ現役で行けるのでは?と思った程です。


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ご冥福をお祈りいたします。


九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士。本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝。優勝31回。三賞7度。金星3個。89年には国民栄誉賞に輝いた。91年夏場所限りで引退後、年寄陣幕襲名。92年4月に九重を襲名し部屋の師匠に。08年2月に理事初当選。広報部長、審判部長、巡業部長などを経て、12年2月から事業部長。15年名古屋場所を休場し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていた。家族は夫人と1男2女。現役時代は183センチ、127キロ。

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大橋巨泉さんが82歳で死去。 [訃報]

7月12日、午後9時29分、大橋巨泉さんが急性呼吸不全で死去し、82年の生涯に幕を降ろしました。


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体調が悪いことは報道やらで目にして、もしかしたらもうそんなに長くないかも、なんて失礼ながら想像もしていました。


それでも昔のあのコロッとした丸い顔がずっと永遠であるような気持ちもどこかに持っていて。


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大橋巨泉さんの事を初めて記憶に留めたのは、あのパイロット万年筆のコマーシャル「はっぱふみふみ」でした。


僕の名前の一文字に「ふみ」が含まれているから、友達にからかわれたことがあり、それでテレビで見た訳です。もちろんいい思いでです。





その後、思春期に親に隠れるように時々見ていた「11PM」、そしてお馴染みの「クイズダービー」の巨泉さんの「倍率ドン」は今でも耳に残っています。「世界まるごとHOW MUCH」もよく見ていました。


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今、思い起こすと当時の司会者の中ではちょっと上から目線の、態度の大きい司会者でした。反感を持たれていた人も人気の一方でいたかもしれませんね。


しかし今回の巨泉さんの訃報を受けて多くの人のコメントが出ていましたが、中でも徳光和夫さんや王貞治さん、萩本欽一さん、藤子不二雄(A)さんなどその道の大御所的な人達からも尊敬され、慕われていたのですね。


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それにしても笑うセールスマンのモデルが巨泉さんだったとは知りませんでした。


戦後テレビのバラエティー番組を支えた巨泉さんですから、様々な方面とも深い交流があったのですね。


確か、まだまだ元気に活躍していた頃でしたね。「セミリタイア」と称して半分引退してしまったのは。そして気候のいいオーストラリアの方に行ってしまいましたね(笑)。これにも驚きました。


誰もが憧れる生活です(笑)。そしてそのような生活をできる人はそう多くはありません。


しかし一方では2005年に発見された胃ガンをきっかけに、2013年には咽頭ガン、2014年にはリンパ節のガン、2015年には肺ガン、今年の2月には左鼻腔内にもガンが発見されたというのですから、まさに晩年はガンに取り憑かれてしまったような感じだったのですね。


ここまで大変な闘病生活であったと思いもしませんでした。ガンとの闘病生活が11年です。


でもご自身でも「仕事や会社は生きていくための手段ですが、究極の目的は定年後に、自分の人生を演出することです」と言っていたとおり、若い頃に密度濃く、ガムシャラに働き、定年後は悠々自適に過ごされたのですから、闘病のことはありますが、幸せな人生だったのでしょうね。


今の時代に物申したことも山ほどあったことでしょうね。


心よりご冥福をお祈りいたします。

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【訃報】水木しげる93歳の生涯に幕を降ろす! [訃報]

水木しげるさんが30日、午前7時18分、多臓器不全で93歳の生涯に幕を降ろしました。


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http://topicks.jp/13086より引用


水木さんは今月11日に自宅で転倒。頭部打撲による硬膜下血腫で緊急手術を受け、一時回復していたものの、30日未明に容体が悪化し、多臓器不全により帰らぬ人となりました。


最愛の奥様の話によると最期には、会話もできず、「アイコンタクトをちょっとしただけ」と言うことでしたが、今までの人生の伴侶に、最後のお礼でも言ったのではないかと思っています。


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http://www.zakzak.co.jp/gei/200904/g2009042333_all...より引用


水木さんと言えば、誰もが連想するのが「ゲゲゲの鬼太郎」です。


僕は初めて知りましたが、題名の由来は、作者が幼い頃に自分の名前を「しげる」と言えずに「ゲゲル」「ゲゲ」と言ったことから着想し、もう一つゲをつけたことによるそうですね。


何とも単純な命名ですが、それがいまではこれほどまでにしっくりした題名になっているのですから面白いものです。とっさに閃いたのでしょうか(笑)。


初めて「ゲゲゲの鬼太郎」を見たのは勿論、子供の頃のことですが、当時は勿論カラーではなく、シロクロで正直子供心に少々怖がりながら見ていたように記憶しています。


鬼太郎にももう少し影があったというか・・・。


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http://blog.goo.ne.jp/chacha-sirius/e/c12bdcba3d28...より引用


主題歌も最近のものと同じではあるのですが、もっと物寂しくていかにも妖怪が出てきそうな雰囲気でした。


最近の鬼太郎は大分あか抜けた、明るい印象になりましたね(笑)。


さて水木さんと言えば、壮絶な戦争の体験者でもあります。


少し前に水木さんは、「最近、戦争の夢を見る夜が増えた」とコメントしています。


亡き戦友たちが無言で目の前を通り過ぎる。水木さんの右手は空をつかむようにして戦友を呼び止める。だが「『おーい!』と声をかけても誰も振り向いてくれない」


そんな夢だそうです。


終戦後、70年もたとうと言うのに、未だ夢に見るなんて、どれ程過酷な体験であったか想像がつくと言うものです。


水木さんは1922年(大正11年)3月8日生まれで、鳥取県境港市で育ち、21歳の時に召集令状により、戦争に赴いています。春に出征し、何とその秋にはもう激戦地であるラバウルに出征しています。


僕の息子と同じような年齢の時に、既に銃弾が雨のように降り注ぐ戦地にいたわけです。


ラバウルは日本軍の重要な基地として、イギリスやアメリカ、オーストラリアを中心とした連合軍側から激しい攻撃を受けた場所です。


水木さんをはじめ多くの兵隊が、ラバウルで人間なのか動物なのかわからぬような扱いを受けていました。


いつ攻撃されて命を落とすかもしれないという極度の緊張状態の中での5日間にも及ぶ逃避行の結果、仲間の部隊に合流した時、中隊長に「なんで逃げて帰ってきたんだ。みんなが死んだんだからお前も死ね」というような、現代では考えられないような言葉を投げかけられてもいます。


戦争が人間を狂わせてしまったのでしょうね。


水木さんは、そんな過酷な戦場で不運にも左腕を失っています。


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http://www.all-nationz.com/archives/1046375437.htm...より引用


マラリアで40度以上の高熱が出て兵舎でふせっていた時、空襲による爆発で左腕を負傷し、治らないと判断した軍医がナイフで腕を切断しました。


傷口にウジ虫がわき、腕は顔よりも大きく腫れ上がりました、マラリアもひどくなり、状態は悪化。「周りは『死ぬだろう』と言っていました」。実際、埋葬用の穴が掘られていたそうなのです。


そんな重症の中から持ち前の体力でなんとか持ち直し、野戦病院に運ばれ、現地住民との交流で食べ物を得たことなどで回復。1946年に復員、その時には24歳になっていました。


水木さんが描いた戦記漫画「総員玉砕せよ」は90%が戦地で自身が見聞きした内容で、自らの過酷な戦場体験に重ねて描いています。


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http://www.amazon.co.jp/%E7%B7%8F%E5%93%A1%E7%8E%8...より引用


とてもではないですが、思い出すのもつらい戦時体験を水木さんは「何も意識しないで右手が勝手に動いた。あの島で死んでいった兵士がね、描かせたんだね」とコメントしています。


安保法案が可決、テロ活動の多発など世の中に不穏な動きが目立ってきています。


そのような中で、数少ない戦争体験者として、そして何リも公の人として多くの人に語りかけることのできた水木さんの訃報、本当に残念でなりません。


長年交友のあったちばてつやさんおコメントが印象的でした。


代表作のゲゲゲの鬼太郎は暗闇の世界を描いているんですね。もともと日本人は、庭にもかまどにも身近なところに妖怪を感じる心があった。だから妖怪がすむ暗闇の世界を恐れもしたし、妖怪や自然に守られているという感覚もあった。それが私たちは夜中でも明りをこうこうと照らして昼夜の境をなくし、暗闇がない世界にしてしまった。妖怪を恐れなくなって、人の心はどんどんすさんでいっているように感じます。だからこそ今、私たちはもう1回、水木さんの作品を読み直して、半分は妖怪のすむ、暗闇の世界なんだよと考える必要があります。

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http://www.sankei.com/entertainments/news/151130/e...より引用


何かこのコメントを読むと、いろいろ考えさせられます。


人間が傲慢さに警鐘を鳴らしているということなのでしょうか?・・・


水木しげるさんのご冥福をお祈り申し上げます。

北の湖理事長の九州場所中の訃報に悲しみの声多数。 [訃報]

北の怪童と呼ばれた昭和の大横綱、北の湖理事長の大相撲九州場所中の訃報に相撲界だけならず、芸能界にも大きなショックが走りました。


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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E...より引用


直腸がん。62歳のあまりにも早すぎる訃報に悲しみの声が途切れません。還暦の土俵入りをしてまだ2年しか経過していません。


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http://noball-nolife.jugem.jp/?month=201306より引用


今朝の朝刊配達の仕事の時に、朝一番に届いた新聞の一面を見た時に、本当に驚きました。


先日、貧血で入院と言うニュースを何かで見かけた直後でしたから。


貧血=訃報に繋がるなんてあまり考えませんませんからね。大したことはないと思って気にも留めていませんでした。


先日の横綱白鵬の猫だましに苦言を呈していましたから、相変わらずだなと思っていた矢先のことでしたので尚更驚きました。


北の湖敏光、本当に強い横綱でした。


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http://kinkansnews.jugem.jp/?eid=1570より引用


優勝回数で言えば24回と歴代5位ですが、まさに「憎らしいほど強かった」横綱でした。


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http://mainichi.jp/graph/2015/11/21/20151121k0000m...より引用


無愛想であまり笑顔も見た記憶がありませんでしたから、そんな雰囲気も手伝い、当時は本当に憎らしい程、そして恐い程強かったと、僕自身もそう記憶しています。


このように表現したら怒られるかもしれませんが、そういう意味では白鵬や鶴竜、日馬富士等の今の横綱達とは比べ物にならない位の迫力があったのではないでしょうか?


子どもの好きな物の例えでよく言われていた「巨人大鵬卵焼き」を嫌いなものとしてもじった「江川ピーマン北の湖」とはよく言ったものでした(笑)。


それほど無敵な横綱だったわけです。


特に、もう一人の横綱輪島との横綱対決は本当に迫力がありました。


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http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/sports/ospo...より引用


1985年、32歳で引退するまで横綱在位は10年4カ月にも及び、63場所は史上1位です。


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http://news.biglobe.ne.jp/sports/1120/jjp_151120_8...より引用


そういう功績が認められ、大鵬に次ぎ、二人目の「一代年寄り」が認められました。


「一代年寄り」とは相撲界に多大な功績があった人物に対して贈られる、該当者一代限りの年寄株のことです。


ところで初めて知りましたが、北の湖理事長は、何と中学生の時に初土俵を踏み、15歳9カ月で幕下昇進、17歳11カ月で新十両昇進、18歳7カ月で新入幕しているんですね。


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http://togetter.com/li/656975?page=5より引用


当時は中学生力士なんて言うのも認められていたのですね。驚きました。


そして21歳2カ月、最年少で横綱に昇進しています。


北の湖理事長の得意技は4つ相撲からの投げや寄りでしたが、今回白鵬に苦言を呈した猫だましのような技は確かに見た記憶はありません。


正面から受けて立つ横綱相撲に強いこだわりがあったのですね。


当時は北の湖に対して「負けろ」というヤジも飛んでいたほどの強い横綱だったわけですが、「横綱は頑張れと言われたらおしまいですから」と何とも憎たらしいコメントで返しています(笑)。


現役時代の北の湖関に対する印象は、強い、恐い、ふてぶてしい、憎らしいなど悪評が先行する位の強さだったわけですが、実際はそうではなかったようです。


何事にも律儀で義理堅く、実父と師匠が1日違いで亡くなった時には「師匠は自分にとっては親以上である」として師匠の葬儀に参列、また注射嫌いで有名だったのに献血には率先して参加したなんて言うエピソードもあります。


インタビューでは口数が少なく、笑顔もあまり見せませんでしたが、近所の人に言わせれば、挨拶するとちゃんと返してくれるなど気さくな印象なんですね。子供と一緒にいる時の笑顔なんて最高ですよね(笑)、


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http://mainichi.jp/shimen/news/20151121ddm03505016...より引用


本当に強いだけで、ふてぶてしくて怖くて憎らしい性格であれば、北の湖理事長の訃報にこれだけ多くの悲しみの声が上がるはずはありませんよね。


芸能界とは無縁のような気がしていましたが、芸能界からもお悔やみの声が続々と集まっているとのことですから、正に心技体の揃った昭和の大横綱だったわけですね。


でもそれだけに相撲界のショックははかり知れませんね。


第68代横綱の朝青龍のツイッターでの「悲し涙が止まらない」。まさに相撲界の今の気持ちを代弁しているようです。


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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151120-0000053...より引用


相撲界も八百長問題や賭博問題など、ファン離れが加速した時期もありましたが、相撲人気回復に向けて精力的に活動もしていたようです。


ようやく相撲人気も回復してきました。そんな矢先だけに本当に悔やまれてなりません。


心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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たてかべ和也さん、病気克服できず。アニメ界に悲報 [訃報]

おはようございます。ぶんぶん丸です。

きょうは久しぶりに太陽の光を浴びることができました。

子供たちに大人気のアニメ「ドラえもん」のジャイアン役を長きにわたり務めたアニメ界のベテラン声優たてかべ和也さんが病気を克服できず、18日お亡くなりになられたとの悲報、残念でなりません。

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http://www.kenyu-office.com/profile/tatekabekazuya...より引用

2012年4月にはちびまる子ちゃんのおじいちゃん役の青野武さん、2013年3月にはルパン三世銭形警部役の納谷悟朗さん、2014年1月にはサザエさんの波平役の永井一郎さんがお亡くなりになり、長年アニメ界を支えて来られた方々が次々に他界されるのは本当にさびしいです。

普段、声優さんはお姿を見ることがなく、アニメで長年務められたキャラクターだけを見てきているので、ずっと生き続けていると無意識に感じているのでしょうね。ですからなかなか受け入れられないのでしょうね。

たてかべ和也さんというとジャイアン。でも僕の中ではもう一つ。それは「根性ガエル」の「ゴリライモ」です。少々太り気味であった小学生時代に学芸会で僕に充てられた役が当時人気だった「根性ガエル」の「ゴリライモ」。Tシャツに赤いマジックで「ゴ」と一生懸命塗った記憶が今でも鮮明に蘇ってきます。もちろんその時には声優さんと言うお仕事すら認識もしていませんでしたが(笑)

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https://twitter.com/taiwaniwasakiより引用

あのアニメに登場するガキ大将っぽい、少年の声を80歳になる、たてかべさんが出していたのですから、声優さんって本当に凄いですよね。感心させられます。でも地声はなんでもダンディーらしいですね。面白いものですね。

「ドラえもん」では長く共演していた、大山の代さんも現在は認知症で闘病中ということで、その配慮からまだ大山さん自身もたてかべさんの訃報は御存じないようですね。きっと大山さんにとっても家族のような存在でしょうから、今はお知らせしない方がいいと思いますね。一日でも早い回復を願うばかりです。

古くは黄金バット(ダレオ)、サザエさん(初代穴子さん)、タイムボカンシリーズの(ワルサーやトンズラー)など本当に数多くのキャラクターを演じて来られたのですね。

お疲れさまでした。ご冥福をお祈りいたします。

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今いくよさんが67歳という年齢で他界、ショックです。 [訃報]

女性漫才コンビで第一人者の今いくよ・くるよの今いくよさんが胃がんでお亡くなりになられましたね。
正直、驚きました。胃がんになられたとは耳にしていましたけど、胃がんって王貞治さんや宮迫さんも早期発見で完治されていたし、いくよさんは昨年の12月に一旦復帰されていたから、そのまま完治して当たり前のように思っていました。だって年齢がまだ67歳ですよ。若すぎます。上方漫才界でもかなりショックが大きいのではないでしょうか?

確か高校時代のソフトボール部の友人同士でしたよね。ということは相方の今くるよさんとは50年ものお付き合いということになりますから、くるよさんがちょっと心配です。身体も性格も大らかな印象のくるよさんと細身でしっかり者のいくよさんとのあのやり取りが思い起こされます。くるよさんがおなかを叩いて笑い、いくよさんのまつ毛の長いのを茶化していたのを楽しく観させてもらっていましたからね。よく若手コンビさん達がコンビを解散して新しいお相手と組む、なんて言うお話をよく耳にする中で50年と言う長い間コンビを続けてきたわけですから、家族以上と言ってもいいかもしれませんね。色々なことがあったでしょうね。もしかしたら解散の危機なんて言うこともあったかもしれませんね。

くるよさん、大丈夫でしょうか?心配ではありますが、早く立ち直ってまたお腹を叩いて笑う姿を見せてほしいものです。応援しています。今いくよさんのご冥福をお祈りしています。今まで笑わせてただいてありがとう。
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萩原流行さん [訃報]

おはようございます。ぶんぶん丸です。今日も気持ちのいい朝です。軒先のお花が色とりどりで本当にキレイです。萩原流行さんが車の事故でお亡くなりになってもう1ヶ月が経過したのですね。それなのにまだ死因も特定されておらず、わかるまで半年もかかり、その為保険も確定していないようですね。警察の護送車の不注意が原因のような記事も出ていましたね。素人の僕でもおかしいと思います。様々な交通事故の記事を見ても殆んどが事故の経緯や死因などが載っているのに何故この事故の場合はハッキリしないのだろうってね。有名人と警察が関係している事故で、原因が警察側の護送車にあるからなのでしょうか?そうでないにしても勘繰ってしまうのは僕だけでしょうか?長年連れ添った奥様としては遣りきれない思いを抑えきれないのでしょう。同じ経験が有るわけではないので、軽々しく「気持ちはわかりますよ」等とは言えません。でも無念さは推し量ることは出来ます。
僕は昔からVシネマが好きで萩原流行さんと言えば「修羅がゆく」の伊能役です。哀川翔さん演じる本郷との壮絶な戦いのヤクザ映画ですが、萩原さん演じる伊能のインテリで冷酷な役柄は見事でした。あのような役柄は萩原さんしか出来ないと思います。全部で13作品?だったと思いますが、2回観ましたが、また改めて観てみたいと思います。癖のある役柄が多い俳優さんでしたが、それらを見事に演じてきたのですから俳優と言うお仕事が天職だったのでしょうね。今頃天国でハーレーでも転がしているのでしょうか?
奥様も心労でお身体を壊さなければいいのですが。
一日でも早く事故の全容がハッキリしますように。
タグ:萩原流行

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