同害報復刑 [命]
法務省は11日、平成16年と23年に熊本県で起きた強盗殺人事件の田尻賢一死刑囚(45)の死刑を同日に執行したと発表しました。
裁判員裁判で死刑が確定し、執行されたのは2人目だそうです。
日本弁護士連合会は10月の死刑廃止宣言採択後初の執行を受けて11日、以下のような声明を出しました。
「強く抗議する。死刑の執行を停止し、制度の廃止を目指すべきだ」
一方、死刑廃止に反対する犯罪被害者支援に取り組む弁護士団体も11日に記者会見し、このように声明を出しました。
「死刑は極めて凶悪で重大な罪を犯した者に、裁判所が慎重な審理を尽くして言い渡している。法律に従って執行されるのは当然」
僕は後者の声明に同意見です。裁判の結果で刑の執行が確定した以上、執行されなければ何の意味もありません。
きっと何処まで行っても平行線なのでしょうね。
「国家が人の命を奪うべきではない」、「誤判があったら」と言うことを前提にするならば否定的にもなるでしょう。
極刑が慎重な審理に基づき、極めて凶悪で重大な罪を犯した者に科せられる刑罰であり、「誤判ない」ということを前提にするならば肯定的にもなるでしょう。そしてそこには不条理にも命を奪われた被害者とその遺族の強い思いもあるわけです。
現に極刑の判決が下されるような事件はいずれも耳を塞ぎたくなるような残虐な犯罪ばかりです。もし身内にそのような不幸が襲いかかったとしたら、きっと平常心ではいられないでしょう。
だからきっと極刑が執行されたとしても、無念の思いは一生晴れることがないでしょう。
極論を言ってしまえば、「誤判」を前提にしてしまうのなら懲役刑すらままならなくなってしまいます。
慎重な捜査と慎重な審理の上で判決が下されることを大前提としているから、犯罪者に対して、厳正な刑罰を科すことが出来るのだと思います。
こんな記事を見かけました。以前僕もこのようなことをブログに書きました。でも本当にこう言う国もあるのですね。
イランで8日、4歳の少女の顔に石灰をかけて視力を奪ったとして有罪判決を受けた男に対し、両目を失明させる刑が執行されたと言うのです。
テヘラン(Tehran)検察当局によると、イランでこのような犯罪に対して科され得る「目には目を」という厳格な同害報復刑が執行されたのは、今年に入ってこれが2回目らしいのです。
同害報復刑刑と言うのですね。国際人権団体からは非難を受けているそうですが、 シャリア(イスラム法)では、同害報復の原則が中心的な位置を占めているそうです。
この制度には犯罪被害者が、加害者からの賠償金と引き換えに刑罰を免除することができる制度もあるようです。
2011年には、同国で近年相次いでいる酸攻撃事件で失明し顔に重度のやけどを負ったアメネ・バハラミ(Ameneh Bahrami)さんが、犯人に同じ苦しみを与えたくないとの理由でこの権利を行使したと言うことです。
死刑制度という極刑が他の犯罪を抑止する効果は統計的には証明されていないそうですが、僕はそんなことは絶対にないと思います。
人間である以上、少なくとも死への恐怖は必ずあると思います。ましてや同害報復刑のような刑罰があったとしたら。
誰もが人の命を奪う刑罰を好き好んで容認などしていないと思います。
しかし残念ながらそのような極刑があるにも関わらず、凶悪な事件が後を絶たないという現実もあります。
そういう現実がある以上、少しでも歯止めをかけることができるような極刑はやはり必要なのではないでしょうか?
勿論、このような刑罰の存在がなくても、凶悪な犯罪が起きない世の中になることが一番なのですが。
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裁判員裁判で死刑が確定し、執行されたのは2人目だそうです。
日本弁護士連合会は10月の死刑廃止宣言採択後初の執行を受けて11日、以下のような声明を出しました。
「強く抗議する。死刑の執行を停止し、制度の廃止を目指すべきだ」
一方、死刑廃止に反対する犯罪被害者支援に取り組む弁護士団体も11日に記者会見し、このように声明を出しました。
「死刑は極めて凶悪で重大な罪を犯した者に、裁判所が慎重な審理を尽くして言い渡している。法律に従って執行されるのは当然」
僕は後者の声明に同意見です。裁判の結果で刑の執行が確定した以上、執行されなければ何の意味もありません。
きっと何処まで行っても平行線なのでしょうね。
「国家が人の命を奪うべきではない」、「誤判があったら」と言うことを前提にするならば否定的にもなるでしょう。
極刑が慎重な審理に基づき、極めて凶悪で重大な罪を犯した者に科せられる刑罰であり、「誤判ない」ということを前提にするならば肯定的にもなるでしょう。そしてそこには不条理にも命を奪われた被害者とその遺族の強い思いもあるわけです。
現に極刑の判決が下されるような事件はいずれも耳を塞ぎたくなるような残虐な犯罪ばかりです。もし身内にそのような不幸が襲いかかったとしたら、きっと平常心ではいられないでしょう。
だからきっと極刑が執行されたとしても、無念の思いは一生晴れることがないでしょう。
極論を言ってしまえば、「誤判」を前提にしてしまうのなら懲役刑すらままならなくなってしまいます。
慎重な捜査と慎重な審理の上で判決が下されることを大前提としているから、犯罪者に対して、厳正な刑罰を科すことが出来るのだと思います。
こんな記事を見かけました。以前僕もこのようなことをブログに書きました。でも本当にこう言う国もあるのですね。
イランで8日、4歳の少女の顔に石灰をかけて視力を奪ったとして有罪判決を受けた男に対し、両目を失明させる刑が執行されたと言うのです。
テヘラン(Tehran)検察当局によると、イランでこのような犯罪に対して科され得る「目には目を」という厳格な同害報復刑が執行されたのは、今年に入ってこれが2回目らしいのです。
同害報復刑刑と言うのですね。国際人権団体からは非難を受けているそうですが、 シャリア(イスラム法)では、同害報復の原則が中心的な位置を占めているそうです。
この制度には犯罪被害者が、加害者からの賠償金と引き換えに刑罰を免除することができる制度もあるようです。
2011年には、同国で近年相次いでいる酸攻撃事件で失明し顔に重度のやけどを負ったアメネ・バハラミ(Ameneh Bahrami)さんが、犯人に同じ苦しみを与えたくないとの理由でこの権利を行使したと言うことです。
死刑制度という極刑が他の犯罪を抑止する効果は統計的には証明されていないそうですが、僕はそんなことは絶対にないと思います。
人間である以上、少なくとも死への恐怖は必ずあると思います。ましてや同害報復刑のような刑罰があったとしたら。
誰もが人の命を奪う刑罰を好き好んで容認などしていないと思います。
しかし残念ながらそのような極刑があるにも関わらず、凶悪な事件が後を絶たないという現実もあります。
そういう現実がある以上、少しでも歯止めをかけることができるような極刑はやはり必要なのではないでしょうか?
勿論、このような刑罰の存在がなくても、凶悪な犯罪が起きない世の中になることが一番なのですが。
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